これでこの騒ぎは解決した。


    しかし――勿論、問題が消えてなくなったわけでは、やはりない。結局のところ、障り貓を


    祓ったというだけで、その他の部分は、何一つ動いていないのだから――障り貓を消したとい


    うだけで、ストレスそのものが消えてなくなったわけじゃない。しかも、今迴のストレスはほ


    んの數ヵ月で形成されたものだった――つまり、同じ理由で再現されてしまう可能性も、決し


    て低くない。それでなくとも、羽川には、ずっと昔から抱えている家族の問題があるというの


    に――


    いや。


    違う。


    家族のことはともかく。


    今迴のことは――僕がなんとかできる問題だ。


    明日からの僕の振る舞い次第で、羽川を、ある程度は楽にしてあげることができる。勿論、


    やっぱり気持ちを変えることはできないけれど――それでも、羽川に恩返しをしたいという気


    持ちも、やっぱり、僕の気持ちなのだから。


    羽川を助けたいと、僕は思う。


    翼という名を負わされた彼女を、助けてはならないという法はないだろう。


    助けるのは――僕の勝手だ。


    誰が何と言おうと、勝手にさせてもらう。


    「はあ……」


    ため息が漏れた。


    しかし、それにしても、今迴は疲れた……限界近くまで、エナジードレイン、されちまった


    からな……吸血鬼もどきのこの身體でも、體力が迴復するまで、相當の時間を要しそうだ。こ


    つむ


    たすく


    318


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    れでは僕も、明日の朝までここから動けそうにないな……。やれやれ、手伝ってくれたみんな


    に、お禮を言わなくちゃならないっていうのに……。


    まあいいか。


    こうして羽川のパジャマ姿も、拝めたことだし。


    北風と太陽でいうなら、どっちかというと北風の方だったけれど……街燈の下、スポットラ


    イトでも浴びているかのように照らされる、黒髪の、寢息を立てている羽川のパジャマ姿はこ


    れ以上なくいい眺めだった。半減を取り消したけれど、そこから更に喜びも倍増って感じか


    な。本日の労力の代価としては、至福と言ってもいい。まあ、こうして道端で、羽川を見なが


    ら、羽川と共に夜を明かすのも悪くはない……。


    星空は。


    こんなにも、綺麗なのだから。


    「う、ううん」


    と。


    羽川が聲を立てた。


    寢言らしい。


    「阿良々木くん……」


    あるいは――それは寢言というよりは、意識が朦朧として、言葉がただ漏れているだけなの


    かもしれない。障り貓の存在だけが忍によって吸い取られて、だから、ブラック羽川と羽川の


    意識がまだ整理整頓しきれず、両者が混在した狀態に、今の羽川はあるのかもしれない。


    だから、寢言ではなく――本音だ。


    羽川翼の飾り気ない本音が、漏れている。


    「私との友情よりも私に恩返しをすることの方がずっと大事だなんて――そんな寂しいこと、


    言わないでよ」


    「…………」


    目を閉じたままで――羽川は呟く。


    「阿良々木くん……きちんとしなさい」


    そして再び――深い眠りに落ちる彼女。


    いやはや、寢てるときまで、この女は。


    とことん――真麵目が堂に入っている。


    人のことを構っている場合じゃあるまいに。


    せいとん


    319


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    しかし僕はそれでも、即座に、素直に、條件反射のように、羽川のその言葉に答えた。三年


    生になってから、伊達に二ヵ月、羽川に躾けられてきたわけじゃない。こういうときにどう答


    えるべきかは、これでもわかっているのだ。


    「はい」


    008


    後日談というか、今迴のオチ。


    翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた。あれ、と僕は首を撚る――


    そこで記憶が繋がった。そうだ、結局僕は、あの後、あの道端で夜を明かすことはなかったの


    だ。危うくそうなりかけたのだが(羽川のパジャマ姿を思えば、『危うく』という言葉はもっ


    と別の、幸運を祝うような言葉と置き換えるべきかもしれないが)、しばらく時間が経過した


    ところで、神原駿河がものすごいスピードで、宅急動だか縮地法だかbダッシュだかで駆けて


    きたのだった。これが前に聞いた羽川先輩かと神原がときめきかけていたのを死ぬ気で止めて


    から、自宅まで彼女を送っていくようにお願いする。家庭の事情が複雑なだけに、男の僕が送


    るよりも年下の後輩である神原が送った方が言い訳の弁が立ちやすいだろう――文化祭の準備


    を理由にすれば、なんとかなるはずだ。いや……たとえそうでなくとも、そのときの僕に、羽


    川を送っていくだけの體力は、まだ戻っていなかった。だから神原に、電話番號を教えるか


    ら、僕には二人の妹を唿んでくれと頼んだ。続けて千石を探してくれるようにも言ったが、


    ちょっと前に會って、もう遅いからと、既に家に帰らしたとのことだった。この後輩もこの後


    輩で隨分と如才ない。口説いていないだろうなと訊くと、神原は照れくさそうに笑った――い


    やお前、そこでその笑みは違うから。


    そして、月曜日に神原と千石にそうされたように、妹に両脇から抱えられながら自宅に帰


    り、僕は眠ったのだった――兄ちゃん最近非行が過ぎるよと、上の妹から叱責を受けた。返す


    言葉もなかった。しかし、その台詞、お前らにだけは言われたくはないと思うのだが……。


    そんなわけで翌朝。


    僕は學校に行く前に學習塾跡へと向かった――言うまでもなく、あれから僕の影に潛みっぱ


    なしの忍を、忍野の下へと送り屆けるためだ。結局、忍がどうして失蹤したのかはわからずじ


    まいだった。理由を訊いても答えないし、勿論、自ら語ろうともしない。いくらでも推測は立


    ちそうだったし、その全てが間違っているような気もした。案外、最近忍に甘え気味だった僕


    だて しつ


    ひね


    しっせき


    320


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    試用中


    を、彼女は困らせたかっただけなのかもしれない――そんな推測もまた、間違っているのかも


    しれないが。


    學習塾跡に忍野はいなかった。


    留守らしい。


    そう言えば忍野の意図も謎だった――どうして障り貓を、逃がしたのか。本當にうっかり取


    り逃したのかもしれない、しかし順當に、逃げるのを見逃したのかもしれない。どちらにして


    も――あそこまでの展開が予想できていたとは、今迴ばかりは、思えない。僕が探しに出れ


    ば、それがネズミ捕りのように作用し、忍が僕の影に潛むだろうというくらいの予想はできる


    かもしれ


    ないが、そこに障り貓を噛ませる理由があるとは思えない。貓並みの知能のブラック


    羽川が、真相に気付く可能性が果たして何パーセントあったというのだ。


    ただし。


    恐らく、忍野には、それだけはわかっていたのだろう――羽川のストレスの大本だけは、最


    初の尋問の際に、既に。


    それは別段、忍野だからこそわかったというわけではなく――僕だけが、鈍感であるがゆえ


    にわからなかっただけだろうけれど。


    察しが悪い。


    この學習塾跡の窓枠よりも、もっと。


    まあ、留守は留守。


    仕方ないは仕方ない。


    ということで、僕は忍を影に潛ませたままで、學校へと向かった。忍を學校に連れて行くこ


    とには抵抗があったが、失蹤という前科を持ってしまったこの吸血鬼を一人放置しておくこと


    には、もっと抵抗があった。


    教室で羽川と會った。


    「あ。遅かったね」

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