」


    「うん?」


    僕の引用に、不審そうに目を開いた神原。


    「なんだ、それは?」


    「別に……今から訪ねていく相手が、僕らを歓迎してくれるかどうか、ちょっと考えただけな


    んだけれど――」


    そして。


    そのまま、著替えもせず晝禦飯も食べずに、僕は自転車で、神原は駆け足で、忍野メメと忍


    野忍が暮らす住宅街から外れた學習塾跡へと、向かったのだった。


    で――そして、ようやく現在。


    現在。


    その四階で、僕と神原は、忍野と向かい合っている。ことのあらましを聞き終えても、忍野


    は反応らしい反応を見せず、ただ、そんな高くもない天井に吊るされた蛍光燈(勿論電気が


    きた


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    試用中


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    通っていないので、ただ吊るされているだけだ)を見上げるようにし、話の途中で口にくわえ


    た、火のついていない煙草を、左右に揺らしながら――何も言わない。話せることは戦場ヶ原


    の話も含めて全部話したので、もうこちらとしては何も手劄はないのだが……。


    なんとなく、気まずい空気。


    普段は舌から生まれてきたのではないかと思うくらい無駄によく喋る癖に、たまにこういう


    風に黙り込んでしまうのだから、忍野メメという男は本當に対処に困る……。陽気な性格に見


    えて、こいつ実はすげえ根暗な奴なのかもしれないと、こういうときには思う。


    「包帯」


    やがて――ようやく忍野は言った。


    「包帯、解いて、見せてくれるかな? お嬢ちゃん」


    「あ、うん――」


    ちらっと、助けを求めるように、僕を見る神原。僕は、神原を安心させるために、「大丈


    夫」と言う。それを聞いて、神原は、右手で、包帯を解きにかかった。するすると。


    すると――けだものの手が現れる。


    自ら袖をまくりあげ――神原は二の腕の部分までを曬す。けだものの腕と人間の腕の、つな


    ぎ目を示すかのように肘を折り曲げて、一歩踏み出し、神原は忍野に、


    「これでいいのか」


    と言った。


    「……うん、いいよ。そっか。やっぱりね」


    「やっぱり? やっぱりって、何がやっぱりなんだよ、忍野。今日も今日とてわき目も振らず


    にわかりにくい態度を取りやがって――いつもいつもひっきりなしに思わせぶりなんだよ、お


    前は。全能感を演出するのって、そんなに楽しいもんでもないだろうに」


    「そうせっつくなよ、元気いいなあ。阿良々木くん、何かいいことでもあったのかい?」


    くわえていた煙草を、結局火もつけないままに吐き出して――いや、考えてみれば僕は忍野


    が、火のついた煙草をくわえているシーンを見たことがない――あのいつものにやにやとし


    た、軽薄なお調子者の笑みを、僕に向けた。


    「阿良々木くん、それにお嬢ちゃん。最初に勘違いをただしておいてあげるとすると――それ


    は、猿の手じゃないよ」


    「は?」


    いきなり、これまでの前提を覆すようなことを、忍野は言って――僕は驚いた。神原も、不


    意を突かれたような顔をしている。


    「猿の手は、ジェイコブズ以來、確かに色々派生しちゃってるんで、何が本當なのか実際はど


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    ういうものなのかなんて、実物を見てみないことにはわからないんだけどさ――持ち主の腕と


    一體化しちゃうなんて例、僕は寡聞にして聞いたことがないよ。ツンデレちゃんが蟹でお嬢


    ちゃんが猿だったら、そりゃ、日本昔話っぽくて據わりはいいんだろうけれどもさ、でも、世


    の中そんなうまいことはいかないよね。お嬢ちゃん、自分で調べたんだろう? なかったろ?


    猿の手と持ち主とが一體化するお話なんて。もしもあったんだとしたら、無學な僕の知識不


    足ってことになるけれどさあ」


    「……調べたといっても、小學生の頃だから」


    「だろうね。でも、それなのにどうして猿の手だって思い込んじゃったのかな? お母さん


    は、きみに絶対にそんな風には、言っていないはずだけれど……まあ、そうだね、大方、條件


    が合致したからってところかな」


    「條件? なんだそれ?」


    「つまり二つのいわくって奴さ、阿良々木くん。いわくつきのアイテム、猿の手。いわく、猿


    の手は持ち主の願いを葉えてくれる。いわく、ただし、持ち主の意に添わぬ形で――だっ


    け?」


    ふふん、と嫌らしい笑みを浮かべる忍野。


    性格の悪そうな笑みだ。


    性格が悪いというか、性根が腐ってそうな感じ。


    「それが解釈として、お嬢ちゃんにとって都合がよかったんだよね――いや、気持ちがよかっ


    たというべきなのかな? まあ、そんなの、どっちでもいいんだけれど。確かなのは、それは


    猿の手なんかじゃないってことなのさ――元々は木乃伊だったんだっけ? それがお嬢ちゃん


    と同化することによって、生命を得た、か。となると――さしずめレイニー?デヴィルかな」


    「れいにー?」


    その単語に反応した僕に、続けての質問を許さず、そんな暇は與えずに、忍野は、「で」


    と、話を先へ先へと続ける。


    「阿良々木くん、『ファウスト』は読んでる?」


    「え?」


    「はいその反応、読んでない。ていうか存在自體を知らないみたいだね。もうちっとも驚かな


    いよ、そのくらいじゃあ。僕は阿良々木くんのそういうリアクションには、慣れていくことに


    決めたんだ。それじゃあ、お嬢ちゃんは、どうなのかな? 『ファウスト』は読んでる?」


    「あ、えっと」


    突然水を向けられ、驚く神原だったが、しかしすぐに、脊髄反射のようにすぐに、「いや、


    不勉強で、まだ読んでない」と答えた。


    かぶん


    ? ? ?


    せきずい


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    「勿論、知識として、物語の概要と粗筋くらいは知ってはいるけれど」


    「そうか。いや、概要と粗筋を知っていれば十分だよ。うんうん。普通はそうだよね、高校生


    ともなれば、それくらいは知っているもんだよね。あーあ、阿良々木くん、恥ずかしいねえ」


    「阿良々木先輩のことを馬鹿にするな! たまたま知らなかっただけに決まっているだろう!


    そもそも阿良々木先輩は読書などという既存の枠に納まる人ではないのだ!」


    忍野の言葉に突如逆上して、聲を張り上げて忍野を怒鳴りつける神原だった。通常ではあり


    えないだろうその反応に忍野がぽかんとし、説明を求めるように僕に目線を送ってくる。


    僕は、目を逸らすしかなかった。


    ……神原。


    僕のために怒ってくれる気持ちは嬉しいが……、自分のために怒ってくれる誰かの存在がこ


    うも心強いものだ


    とは思いもしなかったが、しかし、そこで忍野を怒鳴りつけると、僕が本當


    に馬鹿みたいじゃないか……。


    「神原……その芸風は一迴限りにしておいてくれ。麵白いっちゃ麵白いんだけど、忍野が僕を


    馬鹿にするたびにそれをやっていたら、本當に話が先へと進まない……」


    「む。そうか。誰とでも虛心に付き合える阿良々木先輩ならではの含蓄のあるお言葉だ。正


    直、何にでもすぐ業腹になってしまう、人徳が足りない私ではその言葉には承服しかねるとこ


    ろもあるが、しかし阿良々木先輩がそう言うのなら、私は己を律して我慢しよう」


    そう頷いて、忍野にぺこりと頭を下げる神原。


    「ごめんなさい」


    ちゃんとごめんなさいが言える子だった。


    素直な子だ。


    「……いや、いいんだけど。確かに麵白かったし

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