、それでも、それが事実であったとしても、そんな知った風なことを、八九寺に対


    して言うべきではないだろう――口が裂けても。僕がたとえこの春休みにどんな體験をしてい


    ようと、八九寺に対し、そんなことを言う権利はない。


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    だから、餘計なことは言わず、


    「お前も――色々大変だったんだな」


    とだけ、言った。


    それは心の底からの感想だった。


    本當、頭を撫でてやりたい気分だった。


    なので、撫でてみた。


    「がうっ!」


    その手に噛みつかれた。


    「痛ェ! いきなり何すんだこのガキ!」


    「うぎぎぎぎぎぎっ!」


    「痛い! 痛い痛い痛いって!」


    こ、こいつ、冗談とか茶目っ気とか照れ隠しとかじゃなくて、本気で思い切り噛みついてや


    がる……八九寺の歯が皮を突き破って肉に刺さっているのがわかる、見なくったって血が噴き


    出しているのがわかる! 本當に灑落にならない、どうして、いきなり――いや、まさか、さ


    てはこれは、僕はいつの間にか、自分でも気付かない內に、知らない內になんらかのイベント


    発生條件をクリアしていて……、


    つまりバトル開始ということか!?


    僕は噛まれているのとは逆の手を、拳の形に握り締める。空気を握り潰さんがばかりに。そ


    してその拳を八九寺の鳩尾に向けて打ち込んだ。鳩尾は人體のどうしようもない急所の一つ


    だ。それでも食い込ませた歯を離さなかった八九寺は大したものだが、しかし、一瞬だけ、噛


    む力が弱まったのは、どうしようもない事実だった。その隙をついて、僕はそちら側の腕を、


    力任せに、でたらめに振り迴した。肉を食い千切らんばかりの八九寺、だがそれゆえに、他の


    部位が留守になる――案の定、あっけなく八九寺は、その腰をベンチから浮かせることとなっ


    た。


    がら空きになった八九寺の胴を、拳を開いて、僕は抱え込むようにする――小學五年生にし


    てはやけにふくよかな感觸が手のひらにあったのだが、ロリコンでない僕にはそんな事象は全


    くと言っていいほど影響を及ぼさず、そのまま勢いに任せて彼女の身體を裏返した。口は僕の


    手を噛んだままなので、當然、首の辺りで、身體が捩れるような形になる。しかし、それは問


    題ではない。手を噛まれている以上、頭部付近への攻撃はそのままこちらに跳ね返ってくる危


    険性もある。それよりも、捩れることによって、あたかもあつらえた瓦割りの如く曬された、


    八九寺のボディが、この場合の狙い目だった。狙うは勿先ほどの拳に重ねるように、鳩尾―


    ―!


    な


    こぶし


    みぞおち


    あん じょう


    ねじ


    かわらわ


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    「くはっ――!」


    完全に決まった。


    ついに、僕の手から、食い込ませた歯を離す八九寺。


    同時に、胃液のようなものを口から吐き出した。


    そして――そのまま、がくりと、意識を失った。


    「ふっ――いや、笑えないな」


    噛まれていた手を、ほぐすように振る。


    「二迴目以降となっちまうと、ただ、むなしいだけのもんなんだな、勝利なんて……」


    小學生女子を相手に正中線を走る人體的急所を拳で二迴も毆りつけ失神させたあげくに、ニ


    ヒルを気取ってたそがれている男子高校生の姿が、そこにはあった。


    ていうか、それも僕だった。


    …………。


    いや、はたいたりつかんだり投げたりとかまでならまだしも、女の子の身體を拳で毆るのは


    ないわ、本當。


    阿良々木暦は戦場ヶ原ひたぎに裸で土下座されるまでもなく、もう十分、最低の男としての


    資格を備えているようだった。


    「あー……しかし、いきなり噛みつくんだもんな」


    とりあえず、噛まれた傷口を見遣る。


    ぎえ……すげえ、骨が見えてる……。知らなかった、人間が人間に本気で噛みつかれたら、


    こんなことになるんだ……。


    まあ、それでも、僕の場合。


    痛みはあるにしたって、この程度の傷――何をするまでもなく、すぐに治ってしまうわけだ


    けれど。


    じゅくじゅくと――じゅるじゅると――はっきりわかる速度で傷がふさがっていくその様子


    は、まるで、ビデオテープの早迴しのようで、巻戻しのようで、そういうのを見ると――自分


    がいかに踏み外した存在であるのかということを、今更のように思い出す。暗い――昏い気分


    を、今更のように、思い出す。


    全く――本當に、ちっちゃいなあ。


    こんなザマで最低の男とか、笑わせる。


    お前本當に、人間に戻れたつもりかよ。


    「……怖い顔になってるよー、阿良々木くん」


    と。


    なぐ


    ? ? ? ? ? ? ? ? ?


    くら


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    不意に、聲を掛けられた。


    一瞬、戦場ヶ原かと思ったが――そんなわけがない。戦場ヶ原が、このような陽気な聲を発


    せられるわけがない。


    そこにいたのは、委員長。


    羽川翼だった。


    日曜日なのに學校と何も変わらない製服姿なのは、まあ、こいつの場合はそっちの方が當た


    り前というか、優等生としてのご愛嬌――髪型も眼鏡もいつも通りで、唯一校內での姿と違う


    ところがあるとすれば、手にしているハンドバッグくらいだった。


    「は……羽川」


    「びっくりしたみたいな顔になったね。うん、まあ、そっちの方が、いいかな」


    へへへーと、笑顔を見せる羽川。


    屈託のない笑み。


    そう、八九寺が、さっき、浮かべたみたいな――


    「どうしたの? 何やってるの? こんなとこで」


    「い、いや――お前こそだよ」


    さすがに動揺が隠せない。


    あと、どこから見られていたんだろうとか。


    もしも真麵目の塊、品行方正の生き見本のような、それこそ清廉潔白を旨としている羽川翼


    に、小學生女子に暴力を振るっている僕の姿を目撃されていたとしたら、もうそれは、戦場ヶ


    原に見られたのとは、全く違った意味を持って、まずいことになるぞ……。


    三年生にもなって退學は嫌だ……。


    「お前こそってことはないでしょ。この辺、私の地元だもん。こそって言うなら阿良々木くん


    の方こそ、この辺、來ることなんかあるの?」


    「えっと」


    あ、そうだ。


    戦場ヶ原と羽川は、同じ中學だと言っていた。


    そして公立だという話だったから――そうか、學區から考えて、戦場ヶ原の昔の縄張りと、


    羽川の行動範囲


    が被っていても、それは全く不思議ではないのだ。小學校は別のはずだから、


    合致するというわけではないだろうが……。


    「そういうわけじゃないんだけれど、ちょっと、まあ、何もすることなくて、暇潰しって言う


    か――」


    あ。


    あいきょう


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    暇潰しって言っちゃった。


    「あっはー。そうなんだ、いいね、暇潰し。することないのは、いいことだよ。自由ってこと


    だもん。私も、暇潰しかな」


    「…………」


    とことん戦場ヶ原とは別の生き物だな、こいつ。


    同じ頭のいい奴でも、これがトップクラスとトップとの違いなのだろうか。


    「ほら、阿良々木くんは知ってるんだよね。私、家、居づらいからさ。図書館も開いてない


    し、日曜日は散歩の日なのよ。健康にもいいしね」


    「……気ィ遣いすぎだと思うけどな」


    羽川翼。


    異形の羽を、持つ少女。


    學校では真麵目の塊、品行方正の生き見本、清廉潔白である、

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